投稿記事~森倶楽部21へ

「NPO法人 森クラブ21」 への投稿記事
          ~2013年(平成25年)の記録

 この時は、視察に行った群馬県の様子を紹介しました。

タイトル;「情報提供~群馬県の事例」  山造り舎 代表 川島潤一
 「木材の搬出材積;約6,300㎥」
この数字は何かというと、群馬県のほぼ中央にある「渋川広域森林組合」の平成24年度の木材の搬出実績です。昨年、視察に行く機会があり、結構おもしろかったので、今回はその事について情報提供します。 視察した場所は2か所。一か所は「渋川広域森林組合」。もう一か所は「渋川 県産材センター」です。
 一つ目の渋川森林組合の見どころは、「素材生産0」!からの生産量拡大です。平成19年までは、造林事業が中心で、なんと素材生産はほぼ「」だったそうです。それがわずか4年の間に6,000㎥を超える材木を搬出するようになっているのです。「すごい!」というか、何といったらいいのか。「切り捨てから搬出へ」という国の制度変更が大きく影響しているようです。なにしろ、搬出することに対して、補助金が出ることになったのですから。

 「集約化して搬出間伐へ」と舵を切ったのが平成19年。そして翌 平成20年から搬出事業を始めたそうです。それに伴い、搬出を行える班を組織、育成し、高性能林業機械を導入して、といった流れで、急速に搬出能力および搬出量を高めていったのだそうです。
 搬出量の増加に伴い、受け入れ先となったのが、2か所目の「県産材センター」です。これがまたすごい仕組みで、「3m無選別材の受け入れ」という事をやっているのです。「何のことやら?」という感じですが、3mに切った材木を全て受け入れるという仕組みなのです!
 群馬県は杉がメインのようですが、現場で3m均一造材を推奨し、①造材作業の単純化
②造材コスト縮減 ③林地残材減 を狙っているということです。しかも全量固定価格で引き取りです。
 今は制度上、量を出す必要があるため、搬出する側にとっては、とてもありがたい制度かもしれません。この県産材センターは、平成23年4月から稼働。引き取り材を、センターでA、B、Cに振り分けます。A材は直材で柱材に加工。B材は直に準じる材で、集成材用として加工。C材は曲がり材で製紙用チップに加工され、製紙工場へ販売されるそうです。この県産材センターの原木受け入れ予定量は、年間5万㎥で、稼働から2年目で既に目標受け入れ量に達しているとのこと。つまりこのセンターの稼働により、群馬県では新たに5万㎥の受け入れ先ができていることになります。

 長野県はどうかというと、新たな受け入れ先という点では、塩尻市に建設が決まっている発電、製材工場になると思います。今は搬出した材の受け入れ先がなく、材木があふれている状況ですが、これが稼働すれば予定数量から見て(年15万㎥!)、受け入れという点については解消されることになると思います。
 気になるのは価格です。渋川 県産材センターの木材買取価格は、現状1㎥当たり、A材;10,500円、 B材;7,000円 C材;4,000円 だそうです。そしてA、B、C材の割合は、およそ1:4:5。3m均一造材である分、A材よりはC材価格に近付く傾向にあるようです。
(そりゃあそうですよね!)
 これをどう考えたらいいのか?ある面からみれば良くもあり、別の面から見れば悪くもあり、といったところでしょうか。隣の県での状況を見ることができてよかった半面、いろいろと考えさせられた視察でした。
 今、長野県で進められている構想は、受け入れ数量が大きいプロジェクトなだけに、どういう形になり、それが長野県の林業にどういう影響をもたらすのか、興味深いところです。

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          ~2015年(平成27年)の記録

 視察で訪れた「下駄」の製造先。そこから話は展開しました。

タイトル;「下駄」のはなし  山造り舎 代表 川島潤一
昨年は久しぶりに「森に学ぶネットワーク」に参加させていただきました。(今回は朝日村)信大製の発表、村長の話、村内の施設を使用しての体験学習、村のバスを借りての見学会、夜の部、そして次の日は一期会による簡易架線集材の実演と実に盛りだくさんの会で、充実した2日間でした。いろいろ学びの多い会でしたが、私の中で特に印象に残ることになったのが、「ねずこ」を使った下駄(三村木工様)です。
  300年を超える目の詰まった「ねずこ」という木。その素材自体素晴らしく、せっかくなので一つ買ってみました。自分用だったのですが、家に持ち帰ったところ、これが子供たちに大うけ! なにしろ今まで見たこともないし、履いたこともない!!!中学3年になる長男ですら初めて。
「そういえばそうだったかな~?履かせたことなかったかな~」と愕然!
マンガの「ゲゲゲの鬼太郎」の中で、主人公の鬼太郎が履いているのを見て、名前は知っているのですが、実物を見るのは初めて。
「これがそうか~」 「履き心地いい~」 「背が高くなる~」 「足が長く見える~」 「ほんとにカランコロンという音がする~!」などと感動の嵐。終いには取り合いになり、けんかになる始末。(笑) いかに日常生活から、以前は当たり前にあったであろう木製品が消えている事かと考えさせられました。
 今、下駄を履くこともなくなっていますし、それ自体身近になく、履いている人もいない。特に今の子供たちは言葉は知っていても、実際に履いたことのある子はほとんどいない!? このままでは無くなってしまうのではないかと心配になりました。
 かくいう私も実際に履くのは久しぶり。まずその履き心地の良さに感動。数百年もの長い風雪に耐えてきたであろう、ものすごく目の詰まったねずこの年輪。その上に置く素足の感触の実に心地よいこと!(これは実際に履いてみないと分かりません) 下駄の歯の位置も絶妙です。歩きやすいようによく考えて作られているな~と感心すると同時に、こんなにいいものが日常から無くなっているとは実にもったいないと感じました。
 値段も安い。Lサイズで3,850円。これを高いというか、安いというかは人それぞれだと思いますが、木そのものの価値、それを伐り出す手間、それを加工して製品にする手間等考えると、とても安いと思います。
 なぜ下駄が世の中から消えたのか?①車社会になった。②舗装路になった。③音がうるさく感じるようになった。④代替品がある。⑤はだしで履かないといけない。といったところでしょうか。物事には必ず長所があれば短所があります。今の時代は下駄の持つ長所より短所の方が上回っているということでしょう。ということは短所より長所が上回らなければ下駄の復権は無いわけで、そこのところをどうするか。こういう事があらゆる木製品で起こっていて、それに代わる何かに取って代わられているということでしょう。
 今回、本当は別の事を書こうと思っていたのですが、子供たちの反応があまりによかったので、この話題にしました。下駄の持つ破壊力、どこかで使えないか?何か出来るとおもしろいな~と思います。どうもありがとうございました。

 

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          ~2016年(平成28年)の記録

  実家に里帰りした際、家について考えたことの話です。

タイトル; 「在来工法の家の魅力」 山造り舎 代表 川島潤一

私の実家は、古い家をあちこち改築しながら今に至る家です。ですので、古いところだと、70年位経過しています。今も、礎石の上に直接柱が乗っかっている家です。もちろん、柱軸組みの在来工法ですので、柱や梁も見えます。これらをよく見ると、いろいろな種類、形の材木が使われているのがよく分かります。
 戦後の、材木が少なかった時代に建てた家ということも影響していると思うのですが、今の感覚だと「こんなものまで!」という感じの材木も使われています。細いもの、ノタ付きのもの、曲がったもの。それらをうまい具合に組み合わせて使ってあります。山の現場で働いているからこそよく分かるのですが、今ではほぼ現地に置いてくるか、出してもパルプ材か薪にするような材木です。
 一方、お座敷のようなお客をもてなすような場所には、節の無い4寸の柱を使ってあったり、目のそろった長押を長尺で使ってあったりと、使い分けも見事です。普段使いの所には構造に支障のない材木を使い、見せるところにはそれなりにいいものを選んで使う。どちらにしても、昔の大工さんの腕の良さがよく分かります。家に住んでいた頃には、そういう事に気づいていませんでしたが、こうした山の仕事をやり、木に関わるようになってから、そういう事の見事さが目に入るようになりました。それにしても、今こういう仕事が出来る大工さんはどの位いるのでしょうか。
 そして改めて思うもう一つの事。それは、「建具がやたら多い!」ということです。まさに建具だらけ。廊下はなく、部屋と部屋が直接つながっており、それを区切っているのが「木製の建具」です。部屋を移動するときには、必ず建具を開け閉めすることになります。大体、4枚の引き戸になっていますので、真ん中の2枚のどちらかを開け閉めして移動することになります。部屋と部屋を移動して歩くので、個室として使える部屋は少なく、無駄と思える空間が多くあります。普段はこの引き戸で区切られていますが、何かの時には、この引き戸を取り外すことで大勢の人が集まれる大空間がうまれます。
 そんな家なので、住むには今風の家と比べると使いづらい!のですが、たまに帰ると魅力的で、末永く残せるといいな~と思ってしまいます。以前は「壊して建て替えればいい」と思っていたのですが、変わるものです。 ただ、このまま住むにはどうにも住みづらい。今の状態は保ったままで、かつ快適に暮らせるようにならないか。その為には大掛かりな改築が必要で、新たに建て替えた方が安上がりなようなので、悩ましいところ。そしてなによりも肝心なのは、そういうことをやってくれる大工さんがまだいるのかどうかということ。
 かつて、増改築をする際に、大工さんが来て、仕事をしていたことを思い出します。何かの技術を残すには、その技術を継承していくための仕事も残していかないといけないわけですが、今はその部分が少なくなっているのでしょう。これまであった在来工法の家屋や大工さんの技術。一度無くなってしまったら取り戻すことはかなり難しくなるので、どうにか継続していってほしいものです。

「NPO法人 森クラブ21」への投稿記事
          ~2017年(平成29年)の記録 

 毎年恒例になっている、森クラブ21への投稿文。前に書いた「赤松考」の第2弾。

タイトル;「赤松考 その2」 山造り舎 代表 川島潤一
 この原稿を書く時期は赤松の伐採適期ですので、頭の中はなんとなく赤松の事になっています。少し前にも赤松の事を話題にしましたが、今の状況を書いてみたいと思います。
 赤松は時期によって値段の差が大きい木という事もあり、主に冬季に伐採するようにしています。ですが、それも怪しくなってきました。つまり冬季になっても値段が上がってこないのです。以前は冬季とそれ以外の値段の差が大きく、冬季には高値で取引されていたのですが、平成27年位からそれが無くなってしまいました。直近の平成30年1月の伊那市場の市況表を見ると、長さ4mの直材で、末口寸法30㎝上の材価が、立方当たり、平均値で8,000円。安値だと4,000円にしかなりません。パルプ材同然の値段で、これでは全く施業が成り立ちません。上伊那は赤松の産地で、今の時期は赤松が一番の売り物だったのですが。
 「何かおかしい!」と思うのですが、一体どうなっているのか?? 原因として考えられることは、
①そもそも赤松の価値が無くなってしまった~赤松の良さは、その曲がりにあり、主に梁として横に使うことが多く、それが高値の要素だったのですが、その需要が無くなってしまった。

②梁としての需要が無くなったので、逆に曲がりが欠点になってしまった~そもそも直材で採れる部分が少ないので、売れる部分がより少なくなってしまった。

③替わる用途として、床材などが考えられるが、別に赤松でなくてもいい~他にいくらでも競合する樹種があるので、値段のアップにはつながらない。

④補助金等の制度の影響~時期に関係なく大量の材が市場に流れているので、それが価格の低下を招いている。

 いづれにしてもこの材価では、丁寧な造材をするよりは適度に造材して、まとめてパルプ材として出した方が楽だし効率がいいので、いいものは出なくなり、それが益々価格の低下を招くという悪循環になります。現に、品質重視の方からは、「欲しいものは市場には無い!」という声も聞きます。
 私は、林業界への新規参入者向けの現地実習の講師も長年やっているのですが、最近、そういった人たちが「木の事が分からなくなっている」という事に気づきました。特に、松枯れ処理の現場に入っている人にとっては、松は「ゴミ!?」でしかないみたいで、愕然としてしまいます。すでに枯れた松を伐って、薬剤で処理するという仕事柄、無理もないと思うのですが、「それにしても、、、」と思います。そんな木であっても、出せば薪や燃料、パルプ材などとして活用できるのですから。

 今回は赤松の話なのですが、そういう傾向は他の木にもあてはまり、杉、ヒノキにしても価格は暴落!国の政策にしても、「質より量」という風潮がまかり通っていますので、作業に追われて、木が本来持っている価値を顧みる余裕が無くなっているのでしょう。林業界に従事する人がそんな調子では、取引される材木の価格も上がるわけはなく、再度、「木」そのものの価値を考える必要があると思い、携わる人には出来るだけそういう話もするようにしています。
 機械化、効率化が進み大量生産の方向になるにつれ、林業関係者の、木そのものの価値を見る力が失われていることが、価格低下を招いている根本的な理由なのかもしれません。